大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

浦和地方裁判所 昭和61年(行ウ)11号 判決

主文

一  本件訴えを却下する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

「1 被告が原告に対し、昭和五七年三月一九日付でなした労働者災害補償保険法による遺族補償給付をしない旨の処分を取消す。2 訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

二  被告

1  本案前

主文同旨の判決

2  本案

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  (本件処分及び原告適格)

(一) 原告は、昭和四八年三月一三日死亡した訴外亡浅利淳二郎(以下単に「淳二郎」という。)の妻であり、同人死亡当時その収入によって生計を維持していた者である。

(二) 原告は、被告に対し、昭和五三年九月一日、淳二郎の死亡は、同人が昭和四八年三月一二日ころ斎藤鉄工建設株式会社(以下「斎藤鉄工」という。)の作業員として、埼玉県川口市芝一八二三番地の田畑倉庫新築工事現場で就労していた際の業務上の事由によるものであるとして、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)による遺族補償年金給付の支給請求をしたところ、被告は、同年一〇月六日請求書を受理できないとして返送してきた。

そのため、原告は、労働基準局長に対し、同年一二月六日右返送処置を不服とする行政不服審査を請求したが、昭和五四年六月三〇日却下されたので、同年一二月二五日浦和地方裁判所に遺族補償年金支給請求書不受理処分取消の訴え(後に不受理処分無効確認の訴えに変更)を提起し、同訴訟において、昭和五五年一二月一日の口頭弁論期日において事実上の和解勧告に従い、原告は右訴えを取下げ、被告は前記請求書を同日付で受理した。

ところが、被告は、昭和五七年三月一九日付で「死亡の原因たる疾病は業務起因性が認められない。」との理由による不支給決定(以下「本件処分」という。)をした(同年四月一日決定書謄本受領)。

原告は、これを不服として、埼玉労働者災害補償保険審査官に対し、昭和五七年五月二二日審査請求をしたが、昭和五九年三月二四日棄却された(同年四月二五日決定書謄本受領)ため、さらに、労働保険審査会に対し、昭和五九年五月一五日付で再審査請求をしたが、昭和六一年七月二八日付で再審査請求を棄却する旨の裁決がなされ、同年九月一二日その送達を受けた。

2  しかしながら、淳二郎の死亡は業務に起因して発生したものであるから、業務起因性が認められないとして遺族補償年金を支給しないとした本件処分は違法である。

3  よって、その取消を求める。

二  被告の本案前の抗弁と請求の原因に対する認否

A  本案前の抗弁

1 (不可争力)

請求の原因1の事実は認める。しかし、原告は、昭和四九年四月三日、被告に対し、前記昭和五三年九月一日の請求と同じく淳二郎の死亡は業務上の事由によるものであるとして遺族補償年金給付の支給を請求した(以下「第一次請求」という。)が、被告は、同年八月一日、淳二郎の死亡と業務の間に相当因果関係が認められなかったので、不支給の処分(以下「第一次処分」という。)をした。そして、第一次処分は、遅くとも同月上旬には原告に通知されたにもかかわらず、原告は法定の期間内に埼玉労働者災害補償保険審査官に対する審査請求をしなかったので、右第一次処分は遅くとも同年一一月上旬の経過により確定し、不可争力を有するに至った。したがって、原告は、以後、右第一次処分の違法を主張してその取消を求めることができないばかりか、再請求を許容すべき特段の事情も認められないので、第一次処分に不可争力が生じた後になされた原告の請求に対する本件処分の取消を求めることもできない。すなわち、

(一) 労災保険法上、労働基準監督署長による労働災害保険給付の支給又は不支給決定に不服あるときには、労働者災害補償保険審査官に対する審査請求をなし、さらにその請求に対する決定に不服あるときには労働保険審査会に対して再審査請求をなして、この再審査請求に対する労働保険審査会の裁決を経た後でなければ右労働基準監督署長による支給又は不支給決定の取消の訴えを提起できない(同法三五、三七条)。かように行政処分について審査請求前置主義が採用されている場合には、審査請求を申し立てることができる期間(争訟期間)を徒過することによって審査請求をなすことができなくなり、その結果、出訴期間を経過したときと同様に、当該行政処分には不可争力を生じる。

労災保険法上の労働者災害補償保険審査官に対する審査請求は、原則として、原処分のあったことを知った日の翌日から起算して六〇日以内にしなければならない(労働保険審査官及び労働保険審査会法八条一項)のであり、原告の第一次請求に対する第一次処分は遅くとも昭和四九年八月上旬には原告に通知され、原告は右第一次処分に対して労働者災害補償保険審査官に対する審査請求をしなかったのであるから、右第一次処分は遅くとも同年一一月上旬の経過によって確定し、不可争力を有するに至った。

(二) 右期間の徒過によって不可争力を生じた行政処分の内容に反する再請求を許容することは、不服申立期間を法定して行政処分を巡る法律関係を早期に確定するという秩序維持の要請に反し、また一定の事情が生じれば再度取消訴訟の途を与えるという意味の規定を持たない実定法の態度にそぐわない。それにもかかわらず、右再請求を解釈の名のもとに許容することは法律による行政の理念に対する不当な侵害であるから許されないというべきであり、例外的に、先の請求当時予測し得なかった資料を基に再請求をする等、当該再請求を違法視しがたい特段の事情のある場合に限り、再請求が許されると解する余地があるに過ぎない。

ところで、原告は、本件処分にかかる再請求においても第一次請求と同一の主張及び立証を繰返すのみであり、再請求を許容すべき特段の事情は何ら存しない。

(三) ところで、本件処分については、次の経緯が存する。すなわち、原告は、前記のように、第一次処分確定後の昭和五三年九月一日に至って、被告に対し、再び前同様の遺族補償年金の給付を請求したので、被告は、請求書を受理せず、同年一〇月六日右請求書を返送した。

しかし、原告は、この返送処置を不服として、同年一二月六日埼玉労働基準局長に対し、行政不服審査を請求したが、昭和五四年六月三〇日却下されたので、同年一二月二五日浦和地方裁判所に遺族補償年金支給請求書不受理処分取消の訴え(後に不受理処分無効確認の訴えに変更)を提起したが、裁判所の勧告に従い、原被告間で訴訟外の解決を図ることとなり、結局、原告において昭和五五年一二月一日前記返送された請求書を提出したうえ被告がこれを受理し、原告は、同月四日右訴えを取下げた。

(四) 以上のような経緯を経て本件処分にかかる請求がなされたものであるが、右請求には第一次処分との関係で再請求を許容すべき特段の事情は何ら存しないものであったから、被告としては、実体に入ることなく却下処分をすべきであったし、その後の審査請求等の手続も実体審理を行うべきでなかったにもかかわらず、これを行ったものである。しかし、結局は、原告の請求を排斥したという意味で処分自体の適法性を損なうものではない。

また、本件処分が却下処分でなく棄却処分であったことは、確定した第一次処分に何らの影響を及ぼすものでなく、本件処分はそれ自体独立の意味を持たず、第一次処分の確認としての副次的意味を持つに過ぎない。行政庁が本来手続要件を欠いているために不適法であるとして却下処分をなすべきにもかかわらず実体に入り棄却処分をした場合であっても、そのことによって右手続要件の欠缺が補正されるものではない。

(五) そして、本件処分が取消されたとしても、それによって第一次処分の不可争力が覆るものではないため、被告としては改めて原告の請求に対して却下処分をするほかなく、原告の法律上の地位には何らの変動も生じないのであるから、原告には本件処分の取消を求める法律上の利益が存しない。

2 (時効期間の経過)

原告の請求は、労災保険法四二条による遺族補償給付請求権の消滅時効期間たる五年間を経過した後になされた不適法なものである。すなわち、遺族補償給付の支給決定を求める権利についての時効期間の起算点は、支給事由の生じた時であり、支給事由とは、「労働者が死亡した時」であり、本件において、亡淳二郎が死亡した日は、昭和四八年三月一三日であるから、その翌日である同年三月一四日から消滅時効の期間は進行し、昭和五三年三月一三日消滅時効は完成し、原告の遺族補償給付請求権は消滅した。

したがって、原告は、本件請求時に遺族補償給付請求権を有していなかったのであるから、本件処分が取消されたとしても、被告としては改めて原告の請求に対して却下処分をするほかなく、原告の法律上の地位には何らの変動も生じないのであるから、原告には本件処分の取消を求める法律上の利益が存しない。

B  請求の原因に対する認否と主張

1 請求の原因1の事実は認める。同2は争う。

2 被告の主張

被告は、淳二郎の死亡が業務に起因するとは認められないとして、本件処分をなしたものであるが、その判断に誤りはないことは、再審査請求に対する裁決書の示すとおりである。

淳二郎の死因については、同人の死亡直後に山森喬夫医師により、大動脈瘤破裂を直接死因とする死亡診断書が作成されているが、これは同医師が淳二郎の死亡前日の初診の際に胸部X線所見で胸部大動脈瘤の疑いが存し、死体検案時に他の確定的症状が存しなかったことによる診断であり、同医師自身が、他の死因の可能性を否定できず、原告ら遺族に死体解剖を勧めたが、原告らがこれに応じなかったために死体解剖は行われないまま埋葬され、結局、淳二郎の死因は不明である。

したがって、淳二郎の死亡を業務上と認めなかった本件処分に誤りはない。

三  被告の右本案前の抗弁(二A)と被告の主張(二B2)に対する原告の反論と主張

A  本案前の抗弁に対し

1 不可争力について

(一) 本案前の抗弁1の(三)の事実は認めるが、原告は、第一次処分後である昭和五三年九月一日、再度調査を行い、新たな主張と新たな証拠を基に被告に対し、遺族補償年金給付の請求をしたものである。しかも、前記のように、原告は、訴訟外の和解に基づいて前記請求をしたものである。したがって、本件訴訟において第一次処分の不可争力を主張することは、民法六九六条に違反する。

(二) 第一次処分の確定によって不可争力が生じたとしても、その不可争力は当該第一次処分にのみ及ぶに過ぎず、同一事項について再度審査してはならないという一事不再理の法理は行政処分には存せず、新たな証拠と新たな判断基準に基づく再請求に対して従前と異なる判断をなすことは許されるというべきである。

本件請求は、第一次請求とは別個の新たな理由及び新たな資料に基づく請求である。

2 時効期間の経過について

(一) 信義則違反ないし権利濫用

そもそも、原告と被告との間の訴訟外の和解に基づいて被告が本件請求を受理した昭和五五年一二月一日の時点では、淳二郎の死後七年を経過していたのであるから、被告の主張によれば、この時点で消滅時効が完成していたにもかかわらず、被告は時効を問題にすることなく、原告と和解して本件請求を受理したのに、本訴になって初めて、時効を主張することは、信義則違反ないし権利濫用である。

(二) 時効の起算点

(1) 労災保険法上の遺族補償年金給付請求権の消滅時効起算点については、民法七二四条を類推適用して、被害者が損害及び加害者を知ったとき、すなわち業務上の死亡であることを覚知した時であると解すべきである。

なぜなら、業務起因性についての理解、認識は、常識判断で嫌疑を抱くことが充分可能であるとは断定できず、その合理的根拠、理由を知り得るまでに長期間を要する。しかも、東京近郊における労災事故に基づいて遺族補償年金給付請求を請求する事例においては、通常、被災者は夫であり、残された家族は遠隔地に居住しており、夫の死亡の業務起因性を裏付けるに足る専門的、医学的な知識は皆無である。

しかるに、かかる被災者家族についても被災者の死亡した翌日から時効が進行するというのは、労働者の生活保障を目的とする労災保険法の立法趣旨に合致しない。

したがって、遺族補償年金給付請求権の消滅時効の起算点について民法七二四条を類推適用すべきである。

(2) そして、民法七二四条の類推適用に当たり、同条の「損害を知ったとき」といえるためには、死因について科学的な合理的理由を知ることを要するというべきである。

原告が淳二郎の死因について、単に額をスパナで打ったから心臓が破裂した、というような非論理的なものでなく、後述するように、淳二郎は本態性高血圧の基礎疾患を有するまま、慣れない高所作業の精神的、肉体的疲労及びそれによるストレスによって死に至ったものであるという科学的な合理的理由を知ったのは、早くても昭和五一年である。

よって、本件請求時、原告の遺族補償年金給付請求権の消滅時効期間は経過していない。

(三) 時効中断

全日本建設産業労働組合(以下「全日建」という。)は、労働省に対し、昭和五二年ころ、原告の依頼に基づいて原告の救済方を申入れ、その結果、昭和五三年に至って非公式ながら再請求をしてみるようにとの意向を受けたのであるから、右救済方の申入れは遺族補償年金給付請求行為と同視でき、この時点で時効の進行は中断している。

(四) 時効の停止

全日建が、昭和五一年労働省労働基準局との定期協議等において、原告の再請求の可否について打診したところ、真実は再請求が実際可能であるにもかかわらず、同局は「一度確定したものは救済できない。」旨回答して、原告の権利行使を妨害し、昭和五三年に至って、右可能性を肯定した。

右労働省労働基準局、ひいては国の対応は、原告の権利行使の妨害行為に等しく、かかる妨害行為の継続した期間、すなわち、昭和五一年から昭和五三年の請求までの期間は、時効の進行が停止していたと解すべきである。

B  本案についての被告の主張に対し

1 (淳二郎の死亡に至る経緯)

(一) 淳二郎は、原告肩書地において農業を営む傍ら、一年の大半を東京等に出稼ぎに出ており、昭和四七年一一月から埼玉県川口市前川町三-七〇八所在の斎藤鉄工に従業員として就労し、主に建設基礎組立工事に従事していた。

(二) 淳二郎は、昭和四八年三月一二日、埼玉県川口市芝一八二三番地所在の田畑倉庫新築工事に従事していたところ、同日午後四時三〇分ころ、訴外池田賢吉と共に、地上約七メートルの位置に架けられた鉄骨上で、片方の手で鉄骨につかまり、他方の手でスパナーを握って、鉄骨合掌材のボルト締め作業中、右スパナーが滑って同スパナーの先端部にて右前額部を殴打して負傷するという事故(以下「本件事故」という。)に遭った。

(三) 淳二郎は、右事故の後地上に降りて駐車中の自動車内で休憩し、同日午後五時、当日の作業終了後、斎藤鉄工に戻り、川口市前川町二-一八九七所在の同斎藤鉄工の宿舎第二寿荘に向ったが、途中「背中が苦しい、呼吸が苦しい。」と訴えて歩行困難になり、同僚の手を借りて同宿舎に戻った後、川口市上青木三-一三五〇所在の山森医院に運ばれ、医師山森喬夫の診察及び額の傷の治療を受けた後、右宿舎に戻った。

(四) その後、右宿舎に戻った淳二郎は休んでいたが、翌三月一三日午前六時頃、様子を見に訪れた同僚によって死亡しているところを発見された。

2 (死亡の業務起因性)

業務遂行に起因しない基礎、既存疾病が条件ないし原因となって死亡した場合であっても、業務の遂行が基礎、既存疾病を誘発又は急激に増悪させて死亡の時期を早める等、それが基礎、既存疾病と共同原因となって死亡の結果を招いたと認められる場合には、右死亡と業務との因果関係は肯定されるべきである。

したがって、前述の淳二郎の死亡に至る経緯及び以下の(一)ないし(三)からすると、淳二郎の死亡と業務との間には因果関係があるというべきである。

(一) 淳二郎の基礎、既存疾病

(1) 淳二郎は、昭和三五年ころから高血圧症に罹患し、通院あるいは売薬による降圧療法をしながら仕事と生活を続けていたが、昭和三八年ころから血圧検査の際には最高値一八〇以上の高い数値が、昭和四六年には二〇〇~一二〇という高い数値が測定されて、高血圧の注意を受けていたので、昭和四七年以降も、売薬の血圧降下剤を毎日服用しながら本件労働に従事していたものである。

(2) かかる状態からして、淳二郎が東北地方農村部に多いとされる本態性高血圧症に罹患していたことは疑いない。しかも、亡淳二郎は、長期の高血庄症から動脈硬化症の基礎疾病を有し、更に時期は定かでないが、就労中あるいは就労前に脳、心、末梢血管の循環器障害(動脈瘤もその可能性の一つである)の既存疾病に罹患していたものと考えられる。

(二) 業務内容及び就労環境

(1) 淳二郎の作業は、倉庫の基礎工事及び鉄骨組立工事という戸外作業で、この作業は約六・五メートルの高所での作業で、階段等の作業足場もなく、鉄骨をよじ登るようにして高所に上がり、転落防止ネット、命綱もない状態で、不安定な鉄骨上でボルト締め等を行う重労働であった。

(2) また、作業時間は午前八時から午後五時まで、原則として休日の日曜日や雨天の日も、斎藤鉄工の工場内で鉄骨の加工、切断等の作業に狩り出されて充分な休養時間が確保されず、さらに斎藤鉄工は淳二郎の就労時から死亡に至る三ヵ月余りの間一度も健康診断を実施しなかった。

(3) 淳二郎は、所謂とび職の経験はなく、特に高所作業は本件作業が初めての経験で、不安定な高所作業からくる恐怖感、精神的緊張等の精神的疲労、ボルト締め等の集中的な力を要する肉体的疲労が蓄積され、淳二郎は本件就労期間中、原告や同僚に対し「高いところに上るとその夜は目が回って気持が悪い。夜寒くて眠れない。動きが苦しい。血圧降下剤も三日服用しないと目まいがする。」などの症状を訴えていた。

(三) 因果関係

亡淳二郎は、前述のように高血圧症、動脈硬化症及び脳、心、末梢血管系疾患の基礎既存疾病に罹患していたものの、同人の出稼ぎによる就労過程からして本件作業に就くまでは右既存疾病は停滞ないし緩慢な増悪の過程にあったにすぎなかったが、本件作業に従事したことにより、疲労とストレスの蓄積によって右基礎既存疾病を増悪させ、本件事故による衝撃的な強度の精神的、肉体的な瞬間的緊張が引金となり、これとの共同原因によって心、血管系の循環器に重大な結果をもたらして同人を死に至らしめたものである。つまり、

(1) 鉄骨組立現場への上り下り作業は、血管系器管に対する負担が大きく、特に鉄骨のよじ登り降り経験のない亡淳二郎にとって、身体的に心拍数及び血圧の増加によってもたらされる心、血管系負担は極めて大きい。

(2) 本件作業では、安全帯、作業床、安全ネット等の安全設備も設置されておらず、かかる場所においては、淳二郎のような未経験者にとっては、心身の疲労が大きく、過度の緊張と努力が血圧を上昇させるように作用する。

本件事故当日の気象条件は、戸外の平均温度六・五度、午後二時からは北の風風速二~三メートル、雨、湿度八七~九八パーセントというもので、これらの気象条件はいずれも体温を奪うものであり、このために身体の体温低下を防ぐ体温保持のメカニズムが血圧上昇をもたらした。

(3) 淳二郎にとって、不安定な足場上での本件事故は、相当な不安、恐怖を伴う精神的ストレスとして作用し、高度の精神的緊張と共に血圧上昇の要因となった。

(4) 本件事故による淳二郎の精神的緊張と不安、ストレスは非常に大きなものであり、精神的疲労は肉体的疲労に比して回復が遅く、本件事故による心、血管系への影響は容易に回復されずに、右(1)ないし(3)の原因と相まって心身への高度の負担となり、基礎既存疾病である高血圧症、心肥大の認められる心臓病の上に作用した。

四  原告の右主張(三A2(二)ないし(四))に対する被告の認否

いずれも争う。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一  本訴の適否

1  当事者間に争いのない事実

請求の原因1(一)(二)の事実は、当事者間に争いがない。

2  再請求の適否

(一)  第一次処分の不可争力と再請求

原告は、昭和四九年四月三日、被告に対し、本件処分にかかる請求と同じく、淳二郎の死亡は業務上の事由によるものであるとして、遺族補償年金の給付を請求(以下「第一次請求」という。)したが、被告は、同年八月一日、淳二郎の死亡と業務との間に相当因果関係が認められないとして不支給の処分(以下「第一次処分」という。)をし、右第一次処分は、遅くとも同月上旬には原告に通知されたにもかかわらず、原告が労働保険審査官及び労働保険審査会法八条一項所定の六〇日の期間内に埼玉労働者災害補償保険審査官に対する審査請求をしなかったことは、当事者間に争いがない。

そうすると、第一次処分は、右処分が原告に通知されてから六〇日の経過とともに不可争力が生じたといわなければならない。

この点に関し、原告は、被告との訴訟外の和解に基づいて本件請求をしたものであり、本件訴訟において第一次処分の不可争力を主張することは民法六九六条に違反すると主張する。

そこで検討するのに、第一次処分に対する法定の不服申立期間経過後の昭和五三年九月一日に至り、原告が被告に対し前同様の遺族補償年金の給付を請求したところ、被告は、右請求書を受理せず、同年一〇月六日右請求書を返送したので、原告は、この返送措置を不服として同年一二月六日埼玉労働基準局長に対し、行政不服審査を請求したが、昭和五四年六月三〇日却下されたので、同年一二月二五日浦和地方裁判所に遺族補償年金支給請求書不受理処分の取消しを求める訴え(後に不受理処分の無効確認を求める訴えに変更)を提起したが、裁判所の勧告に従い、原・被告間で訴訟外の解決を図ることとなり、結局、原告が昭和五五年一二月一日前記返送にかかる請求書を提出し、被告がこれを受理し、同月四日原告が右訴えを取下げたことは、当事者間に争いがない。

しかしながら、遺族補償年金支給請求について支給しない旨の決定があり、法定の不服申立期間を徒過した場合に生ずる不可争力を当事者間の和解によって左右することはできないのみならず、第一次処分に不可争力が生じているかどうかは本訴が適法かどうかという点との関連で原告からの主張の有無にかかわらず裁判所が職権で調査すべき事項であるから、和解を根拠として不可争力の認定を妨げようとする原告の主張は理由がない。

次に原告は、不可争力は第一次処分にのみ及ぶに過ぎないと主張する。

たしかに、いわゆる行政処分の不可争力が及ぶのは第一次処分についてのみであることは、原告主張のとおりである。

しかしながら、行政処分の不可争力が認められる根拠は、公定力によって仮に通用してきた行政処分の効力を法定の不服申立期間経過後は終局的に通用させようとすることにあると解されるから、第一次請求に対して第一次処分がなされてこれに不可争力が生じたにもかかわらず、特段の事情もないのに第一次請求と請求者、労働者及び災害を同じくする請求を許容することは第一次処分に不可争力を認める現行法制度の趣旨に反するといわなければならない。

したがって、第一次請求に対してなされた第一次処分に不可争力が生じた後に第一次請求と請求者、労働者及び災害を同じくする請求がなされたときは、特段の事情がない限り、一事不再理の法理が働くと解するのが相当である。

ところが、原本の存在と〈証拠〉を併せれば、原告の請求は、淳二郎の死亡という同一労働者の「災害」についてのものと認められるから、第一次請求と同一のものと認めるのが相当である。

そこで、それにもかかわらず、原告の請求を許容しなければならないような特段の事情があるかどうかが問題となる。

(二)  労災保険法四二条の規定と再請求の適否

他方、労災保険法四二条には、「……遺族補償給付を受ける権利は、五年を経過したときは、時効によって消滅する。」と規定されているところ、本件の場合、前記のように淳二郎が死亡したのは昭和四八年三月一三日であり、原告の請求がなされたのは昭和五三年九月一日であるから、右規定との関係で原告の請求の適否が問題となる。

そこで、まず、右規定の性質について考えてみよう(原告は、右規定は時効について定めたものであるが、被告が今更時効を主張することは信義則違背・権利濫用に該当すると主張しているが、同規定の請求期間の点は本訴の適法性との関連で裁判所が職権で採り上げるべき事項である。)。

給付を受ける権利の発生と内容が法定の要件事実の充足によって当然に定まる公法上の権利にも、実定法の定め方により、受給権者が行政庁の特段の行為を受けることを要せず権利を行使できる方式がとられているものと行政庁の処分を受けてはじめて権利を行使できるとする方式がとられているものがあることは周知のとおりであるが、労災保険法に基づく遺族補償給付を受ける権利が後者に属することは労災保険法の規定(一二条の八)により明らかである。

したがって、労災保険法に基づく遺族補償給付については、労働基準監督署長による保険給付の支給決定がなされるまでは金銭債権として権利を行使できず、支給決定があってはじめて金銭債権として行使できるようになるのであり、その時にはじめて会計法三〇条所定五年の時効期間が進行し始めると解される。そして、右のことからも明らかなように、支給決定がなされるまでは裁判上の請求の途がないのである。

そうすると、前記労災保険法四二条の定める期間を消滅時効期間と解することは相当でなく、右規定は、「時効によって消滅する」との文言にもかかわらず(民法等にも時効によって消滅するという文言にもかかわらず消滅時効期間ではなく除斥期間と解されている期間がある。)、支給決定を求める請求手続きの期間を制限した規定であると解するのが相当と考える。

ところで、この期間の起算点を右支給決定を求める手続的権利の発生時点であると解すべきことは、当然であり、損害及び加害者を知らなければ損害賠償請求権を行使できない民法の不法行為による損害賠償請求権の消滅時効の起算点と同じ平面で論ずることはできない。したがって、本件の場合、期間の計算は淳二郎の死亡の日からなされなければならない。

原告は時効中断・停止の主張をしているが、労災保険法四二条の定めにつき前記のような解釈をとれば、いわゆる時効の中断ということはありえないから、原告の時効中断の主張は採用できない。もっとも、請求手続きの期間についても天災事変等の場合に停止ないし追完を認める余地はあろうが、本件の場合、そのような事情は認められない。

したがって、原告の再請求(なお、前記当事者間に争いのない本件処分に至るまでの経緯によれば、被告は一旦なされた不受理処分を撤回したものとみるのが相当であるから、原告の再請求の時点は、昭和五三年九月一日であるとみるのが相当である。)は、第一次処分に不可争力が生じた後においてなお再請求が許されるとしなければならないような特段の事情の有無につき検討するまでもなく、前記期間制限により不適法ということになる。

3  再請求の適否と本訴の訴えの利益

そうすると、原告の本件再請求は本来却下を免れないものであるから、本件処分について審査庁及び再審査庁が実体判断をしているとしても、原告は、本訴により本件処分の取消しを求める訴えの利益を有しないといわざるをえない。

したがって、本訴は、不適法である。

二  むすび

以上の次第で、本訴は不適法であるからこれを却下することとし、訴訟費用は行政事件訴訟法七条民事訴訟法八九条に則り原告に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小笠原昭夫 裁判官 伊東正彦 裁判官 稲元富保)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例